zingaro をみて こんなことを想った ......。
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zingaro の 主催者Bartabas バルタバスが、騎馬劇団を旗揚げしてから早25年。
いまや 本国フランスのみならず、ヨ-ロッパを始め世界中でその才能を
高く評価される存在にまで登りつめた、Bartabas そして zingaro。
しかし劇団の創設当初は、zingaroというその名前通り 「放浪の民」さながら
パリ郊外のバラックを拠点とし、あちこちを転々と公演してまわる彼らを
周囲の人々は 蔑み、侮蔑の言葉を散々浴びせかけた。
想像するまでもなく、それは Bartabasにとって耐え難いほどの試練の時
でもあったことだろう。
世間の常識やレ-ルという範疇から、少しだけ外れた道を選んでしまった者にとって
それは逃れることの出来ない、辛く、険しい 茨の道でもあったはずだ。
その道を 選択したからには、どうしても通過せざるをえない長く、苦しい道のり。
けれど その苦難の道を乗り越えてきたからこそ、こうしていま成功への扉は開かれ
観ている者の心をここまでも熱くさせ,胸振るわせるのではないだろうか。
『 あの人は 変わり者だから 』 などと 陰口をたたくことは容易い。
だけど 思うに 世間の一般的な常識から、少しだけ外れた道を選択して
生きてきた者たちが,いつの時でも 歴史を変え、新しい時代や文化を
生み出してきたのではないのだろうか。こういう類の人間が出て来ない国や社会と
いうものは 暮らし向きは豊かで、一見幸せそうに見えるのかもしれないけれど
どこか 退屈なだけなのじゃないのかな 。。。。。
本来なら zingaroを観た後の感想記のようなものを書くべきなのだろうが
実際に会場まで足を運び、自分の目で確かめないことには
この迫力や、詩情に溢れる感動は伝えられないよな ...。
zingaroの舞台に 一貫して 溢れているテ-マ
「 人間の持つ 強さと 儚さの表現 」
誰のものでも無い、授かった 自分だけの生命。
たった 一度きりの人生なんだもの、
思いのままに 懸命に生きていかなければそこに意味を見いだす事は出来ない。
ひとの一生、なにが起ころうとも 自らが 選択しその結果として生まれたもので
あるのならば、それはそれで良しとすべきだろう。一番良くないことは
何もアクションを起こさずに、いつまでも後悔の念を抱き続けることだ。
人間は、おもっている以上に強いものなのだ。
しかしその一方で、脆く儚い存在でもあるものなのだろう。
それならば どこかしらかのタイミングで何かしらのアクションを起こすべき
なのではないのか。
期はいつしか必ず熟す。 その時を 見誤まらぬ眼と心を磨き続けなければ!!
会場を後にする、Bartabasの後ろ姿を見ながら
なぜだか そんなことを ふと 想った 。。。。。
心に たっぷりのエネルギ-.チャ-ジ。これでまたしばらくは頑張れるかな 。。。。
舞台やコンサ-トの前後の 観客の方々の姿を観察するのが好きだ。
はしたないなと想いつつも、ついついいろいろとチェックしてしまう。
今回も 会場を後にするお客様方
なんだかみんなとっても満ち足りた表情に溢れているように見えた 。。。。