やあ、 元気 ? ・・・・・・・。
そぼ降る雨の中 甲斐の国は、塩山(えんざん)、勝沼への旅へと
出てまいりました 。。。。。。
おっ、勝沼といったら ワインを巡る旅に出てきたのだな .....
と 思いきや .......
まず向かった先は、塩山の高橋山放光寺です。
迎えて下さったのは、こちらのお方 ・・・・・・・・
木像の金剛力士立像で、鎌倉時代前期の造立です。
それでは、ちょっぴりだけ その素晴らしいお体を ・・・・・・・
って、そんなに怖いお顔なさらないで下さいな 。。。。。
まあ冗談は ほどほどに。
こちらの金剛力士さまの、吽(うん)形の方なのですが、裳裾が、あたかも風になびいて
左から、右の方へと、まくれ上がっているかのように表されておりますでしょう。
実はこういう表現の仕方って
大変に珍しいものでして、全国でもいまのところ二件だけ同例が知られているだけなんですよ。
お庭には、紅白の梅が咲き乱れ彩りをなしております。
こちらのお寺、実は 知る人ぞ知る 仏像などの宝庫でもありまして
以前からいちど訪れてみたいなと考えておりました。
貴重な仏像が多いのですが、なかでも魅力的なものが、天弓愛染明王坐像。
獅子の冠、6本の腕、3つの目を備え、顔を二分するように真ん中で天に向かって
弓矢を構える。顔の真正面で垂直に弓矢を構えるものは、ほかにもあまり例がなく
異形の愛染明王像なのです。
ちなみに、こちらの写真のものは現在の愛染堂に安置されておりますもので、比較的
新しいものなのですが、宝物室に安置されておりますものは平安末期のもので、写真
撮影は禁止されております。
それと もう一体、魅力的な像として、安田義定毘沙門天立像があります。
義定は、平安末期に当寺を建立した人物であり、源平合戦で、平家の大将・平経正、
師盛、教教らを討った甲斐源氏の武将でもあったのですが、源氏の御家人であった
梶原景時の罠により、謀反の疑いをかけられて失脚。甲州に落ちのび、鎧を笛吹川に
投じて当山で自刃したといわれております。
その後、景時は義定の亡霊に苛まれ、義定を毘沙門天に擬して供養したといわれて
おります。なんとなく お能の一話になりそうなスト-リ-て゛すよね 。。。。。
1665年に修飾され、現在のような華やかな色彩が施されたようでありますが
それはそれは 見事な色彩の武者姿なんですよ。
ふう~、これだけのものを集中して見てきましたので、喉が渇いちゃった。。。
お茶でもいただこうかしら 。。。。。。
はあ~~ 。。。。。。。
誰もいないから、ちょっと横になっちゃおうかしら ・・・・・・・・・。
zzzzzzzz ・・・・・・・
んっ、誰かいらしたような????
あっ、これはご住職様、お庭も手入れが大変行き届いておりますし
お茶もたいへん美味しゅうございました 。。。。。
ほっ、危機一髪 。。。。。。。
Non,non,non 、ちゃ~んと 見ておりましたぞ !!
なんとなく とっても長~くなりそうな 予感がいたしますが お許しを ......
つづく