「博多の仙崖さん」
と 今でも親しみ愛されている仙崖は、晩年、数多くの禅画を
描いたことでも有名な禅僧。
出光美術館 はそのコレクションの充実していることでも名を知られている。
仙崖(1750~1837)は美濃で生れ、臨済宗古月派の禅僧としての研鑽を積んだ。
後に、日本最古の禅寺.聖福寺しょうふくじの第百二十三世の住職として
九州.博多に下り、老巧化した伽藍の修復や弟子の育成に活躍した。
還暦を過ぎ、隠居した後も、得意の禅画を通して庶民の教化に努めた。
そのあまりにもユ-モラスで楽しい禅画と、気さくな人柄は多くの人々に愛された。
仙崖さんについての様々な逸話の中、人間味に溢れたこんな話しが私は好き...。
仙崖さんのその臨終間際、弟子達が遺言を求めると
「死にとうない ....」 の一言。
高僧が残す素晴らしい格言を期待していた弟子達は驚愕し
「ご冗談ではなく、本心を仰って下さい」と、再度促すと
仙崖さんは、「いやいや違うのじゃ。ほんまに、ほんまに死にとうない ...」
と一言遺し、世を去った。
なんて素直な方だったのだろう。
死の間際まで格好良い言葉を遺そうなんて考えるでもなく
痛いときは 「痛ったったったっ....」、悲しければ 心から泣き叫び
嬉しいときは 腹から笑いころげ ......。
人間誰しも 死にたくはないものだろう。そんな未練を残している者こそ救われる
という深い教えがそこからは感じ取れる。
生きるときは精一杯悔いなくその生を全うし、死するときはただその運命に身を委ねる。
これこそがまさに 禅の生き方そのものなのではないだろうか。
禅画と聞くと、得てして難解なイメージが付きまといがちでもあるけれど
仙崖や白隠の描いたものにはどこかユニークで温かな人間描写が多々見受けられ
くすくすくすっとさせられる中で、果たしてこの画や書の中にはどのような意味合いが
込められているのかな? と思わず考えさせられてしまうことだろう。
もしどちらかで目にされる機会がありましたらじっくりとご覧になられてみて下さいね。
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